新しい展示のお知らせ 下平竜矢‘ポートレーツ’ 及びこれからの展示のお知らせ

7/26より8/1まで下平竜矢写真展、ポートレーツを展示します。

『再生 vol.1』
A4変、32頁、中綴じ、400部限定
(編集.三木義一、文筆.高橋義隆)
500円、好評販売中
8/2〜7continue 湊庸祐

8/9〜8/22 齊藤明彦 drypoint  

タイトルは元々響きだけの、自分で作った造語のつもりで、
けれど実際には版画の技法であるらしく、
版を重ねる度に微妙にグラデーション等、
風合いが変わり、変わらず残るのはその線だけだとか。
今年の四月位に聞いた話。
版画において当てはまるのかは分からないけれど、
こと自分の写真においては、客観や記録としての面が線として残り、
階調がその時の気分や自己を表している様な。

所詮は言葉なのだから、そう捉えることに意味はないと思う。
意味はないのだけれど、記録は記録として、自分は自分として。
齊藤明彦




8/23〜9/4 髄 ‘与えたもう、奪いたもう。’
※ 平井企画 

 
9/6〜9/18 山方伸・林隆文・齊藤明彦 3人展 STREET PHOTOGRAPHS 



写真になって初めてみえてくるもの。

写真を目の前にした時、「何が写っているのか?」ということに着目することがあるだろう。
「被写体は何であるか?」 しかし、写真を観る上でこのことは重要なことなのであろうか?
もちろん、どういった目的の写真かということにもよるのだが、
少なくとも今回の、齊藤明彦、林隆文、山方伸の作品にとっては、
写っているものそれ自体が辞書の上で定義されている意味は重要でない。
つまり、「何が写っているのか?」ということではなく、
「何がみえるか?」ということに着目してもらうことが今回の展覧会の一つのテーマともいえる。

普段気にも留めていないものをじっくりと見つめられるということが写真の最大の魅力の一つである。
ひとたび写真になれば、
人の表情や動作、衣類の質感、背景、モノの配置や位置関係、状態、想像できる触感などを視覚を通して感じることが可能になる。
そこに現れるのは、本来ある意味とも違う、期待したものとも違う、認識していたものとも違う、予想外のもの。
写真には、いかに人間の眼に意外で、不可解で、興味深いものが存在し、配置されるのかということである。
写真には、現実を越えてみえてくるものが、確かに存在するのだ。
この展覧会はストリートフォトグラフィーの一つの観方の提案であり、
写真を細分化する分野の垣根を取り払い、
写真を観ることのおもしろさの根源へ立ち帰るために投じる一石になればと思う。
小寺規古

9/6 opening party 9/17gallery talk '何が見えるのか?’